ビザーマジックの手順研究

現代的アプローチによるビザーマジックの考察

マジックにおける笑いについて

笑い。

マジックにおいてこのスパイスは重要だと思われる。なぜなら、マジックの不思議さというのは人の意識に恐怖のタネを植えるものだからだ。人間は分からないものに恐怖を抱き、反射的に拒絶を示す。まさにマジックの不思議さというのはその『分からないもの』に他ならない。人間がこの恐怖に打ち勝つためのもっとも手っ取り早い手段こそが諧謔なのである。

マジックは不思議である。不思議とはその人間の持つ常識の外にある未明の現象を見せられた時に示す印象である。したがって不思議という印象は恐怖を惹起する。人間はこの不思議という恐怖に対応するため、ほとんどの場合は「解明する」か「攻撃する」か「背を向ける」かの行動に出る。一部の変わり者が、この不思議な現象(恐怖)に魅了されて厚く信仰するが、それが「マジシャン」という連中なのだ。

不思議な現象が意識の深層に恐怖を惹起していると仮定するならば、その現象の連続は、早々に観客を疲弊させる。そして恐怖から生じる緊張によって疲弊した観客は、マジックという現象を不快なものと認識するのである。

それを解決するために、笑いが有効だと考える。不思議=恐怖を観客自身の『笑い』という行為によって打ちのめさせれば、観客は負の感情に勝利することができる。理解できない現象によって生じた恐怖を笑い飛ばすことによって満足し、マジックは楽しいものとなる。マジシャンと観客は互いにwin-winの関係となるのだ。

さて、実践について話そう。マジックの演者としてもっとも困る反応が「攻撃される」「逃げられる」である。これは言うまでもない。マジックが成立しない。マジックは独り相撲となり、観客にそのような態度を取られた時点でマジシャンは孤独で惨めな道化師と化す。マジシャンは観客よりも弱いということをまず認識すべきだ。マジシャンは観客の反応によって成り立っている。よってマジシャンが観客の感情を思いのままに操っていると勘違いすると、いずれ手痛い目にあう。

そういうわけだから、マジシャンは観客を威嚇してはならない。力(不思議さや、テクニック)でねじ伏せようとしても無駄である。なぜならマジシャンの力なんてものは、妄想オタクが脳内で力を誇示しているのと同義であり、観客の現実の力の前ではあっさり打ちのめされる。

こうして、マジシャンがすべきことは次の二択に絞られる。不思議=恐怖を観客に提示したときに、「解明させる」か「恐怖の受諾」という選択をとってもらうということだ。マジックは観客がゲームに乗ってくれないことには成立しないのだ。観客を土俵に載せるには上記の二択しかない。

まずは前者の「解明させる」という手段。これは即効性があり実に効果的だ。しかしご存知の通り、種明かしはマジックの世界において御法度とされている。なぜならマジックの本来の目的、すなわち観客を不思議がらせることを根本から否定してしまうからである。

しかし、ここで忘れないでほしいことがある。マジックの本来の目的である不思議がらせるという行為は、相手の無意識下に恐怖を抱かせることであり、不快なものなのだ。大体のマジシャンはこのことが頭からすっぽり抜けているようである。

誰もがホラー映画が好きではないのと同じように誰もが不思議を好むものではない。マジシャンの不思議な行為というのは、観客にとって根源的には毒であることを忘れてはならない。

この毒を完全に解消するのが「ネタバラシ」であり、人間は本能的にネタバラシを求める。つまり、脊髄反射的にネタバラシは良くないという方々は、まずマジックのもたらす負の面を直視すべきなのだ。

種明かしをしてほしいという気持ちはマジックをしない人間(不思議=恐怖を受け取らされる側)にとっては完全に是とされるということを知るべきだ。

しつこいようだが、マジシャンのやっていることは、そもそもが本能が拒絶するような行為なのだ。観客を不思議がらせるというのは、極めて不快な行為だ。マジシャンの視点でもって「マジックは無条件で良いもの」だと思わぬことだ。それはマジシャン側の勝手な都合である。

といってしかし、わたしは種明かしを肯定しているわけではない。なぜかというと先のブログでも述べているがわたしの『目的』が観客を恐怖に引きずり込むことだからである。

そのためには自身の意志で『恐怖の受諾』を選択させる必要かある。

この恐怖というのは不思議なもので初期段階では人間は本能的に恐怖を排除しようとするが、ある一定のレベルに恐怖心が達すると、あえて恐怖に突っ込んでいくようになる。人は耐えられぬ恐怖と対峙した時に言い知れぬ高揚感を覚える。そしてバンジージャンプをした時のような快感を知ると、それがやめられなくなる。

わたしは観客をそこへ誘うことを目的としている。

しかし、いきなり観客にバンジージャンプをさせようとしてもそれは無理だ。拒絶されてしまう。まずは恐怖を受け入れてもらうために、その恐怖を別の感情にすり替えておびき寄せる必要がある。

それが『笑い』であり『楽しませる』ということにつながるとわたしは確信している。