ビザーマジックの手順研究

現代的アプローチによるビザーマジックの考察

ビザーマジシャンの現実②

警備室。午前零時。液晶テレビに映る国営放送を見ながら、日付が変わるのを確認しました。
仮眠の時間です。防犯監視装置のスイッチを入れます。輩が闖入したときに警報が鳴るように。
この広大な館内にわたし一人しかいないというのは、よく考えてみれば、めちゃくちゃ恐ろしいことだと思います。
こんな女装趣味のあるマジシャンのオカマ野郎に、オフィスビルの警備を一人でまかせても大丈夫なのでしょうか? 仮眠の時間に暴走族などにビル内に入られて襲われたらどうするのでしょうか?
しかし、それでもいいのです。きっとこの業界は人手が足りないのです。
わたしは、ジャージに着替えて、警備室の電気を消し、ベッドに潜ります。外から騒音が聞こえてきます。賊がバイクをブンブンいわせています。あの人らはいったいなにを喚いているのでしょうか。どうしてご近所さんに迷惑をかけたがるのでしょうか。
わたしは目を瞑り、眠りに入りました。と、思ったら、防犯監視装置がけたたましく鳴り響きました。侵入者です。わたしは飛び起きて警戒棒を身につけ、ブザーが反応した位置を確認しました。エントランスでした。急行します。金髪長身の族が暴れています。膝がガクガクに震えだして止まりません。とまれ! 頼むから震えないでくれ!
エントランスの自動ドアが金属バットでぶち破られてしまいました。やつらがこちらへ突っ込んできます。わたしは、距離をとろうと一歩下がります。が、すっ転んでしまいました。あっという間に族に囲まれてそしてわたしはヤンキーどもにガスバーナーで熱せられた鉄パイプでケツを掘られたあげく、眼球にアイスピックを突き立てられて、死んでしまいました。

 

と、いう感じで全然眠れないと、上記のような妄想をしてしまいます。ああ、恐ろしい。気を紛らわせたい。つまり、オナニーしたいです。でも、さすがに職場のベッドの上でオナニーしたりはしません。わたしは去勢して本当に良かったと思いました。去勢していなければ、本当に職場のベッドでオナニーしていたと思います。
わたしは、邪念を振り払うため、ダンゴムシのように丸まってベッドのなかで眠気が来るのをひたすらに待ちわびることにしました。
「誰か! こんなわたしを断罪してください!」
と、わめき散らしたいのを我慢しながら。
 
目覚まし時計が鳴っていました。朝の五時です。死にてえ。と、思いながら起き上がって、パンツ一丁で洗面所へ行こうとして、途中で慌てて引き返しました。トイレへの導線には監視カメラがあるのです。監視カメラの画像は三週間データとして保存されるので、万が一あとで見返されてパンツ一丁で徘徊していたことがバレるとヤバイのです。ちくしょう、めんどくせえ。しぶしぶ、わたしは警察官のコスプレみたいな制服を着ます。なんで、こんな警察ごっこをしなきゃならんのでしょうか。うぜえ。と、苛立ちを感じながら、多少の反抗をアピールするためにボタンを留めずシャツは出しっぱのまま、トイレの洗面台へ向かいました。冷たい水で顔をバチャバチャ洗います。頭が冴えて、視界が広がります。鏡に映る水浸しの顔は、青白くて、まるで能面のようです。およそ人間味を感じることのできない無機物のような顔をしていました。

五時四十五分。外周巡回です。入り口付近に妙齢のババアがしゃがみ込んでいました。締め切られたエントランスの自動ドアの前でタバコを吸っていたらしく、ケシモクが散乱していました。わたしはババアに対して、「敷地内だから入らないでください」と、言いました。にもかかわらず、彼女は無視を決め込んでタバコを吸い続けています。
「あのう、このビルの警備のものなんですが、ここは喫煙所ではございません。敷地内ですので、立ち退いていただけますでしょうか」
あえてなんの抑揚もつけずに冷淡な感じで発音すると、化粧の濃いその淑女はこっちを見上げて、「は?」と、疑問形の顔をしました。わたしはついムッとして「立ち退いてください」と声を低くして感情的な声を出してしまいました。すると淑女が、にへっ。と笑って、「警備のくせに」と、ボソッと言ったのです。警備のくせに。警備のくせに。警備のくせに?
「おい、ババア。今、なんつった?」
わたしは、ニコニコしながら警戒棒を腰から抜いて、ビュッと振って伸ばしました。
ババアがギョッとした顔をしました。
「おい、ババア、なんども同じこと言わせんじゃねえよ。あと、ファンデーションどんだけ塗ってんだよ。ピエロか、ババア」
わたしの心はどうしてこんなに醜いのでしょうか。みんな、このババアのせいです。わたしの忠告を無視して、敷地から立退かないせいなのです。わたしは警戒棒をババアの脳天に振り下ろします。バコン。ああ、いい音。このまま頭蓋骨をグチャグチャに砕いてやろう。錆び付いた金属の棒をなんども叩きつけてやります。死にやがれクソババア。
ババアは万歳して、血みどろになっている頭をカバーしようとしていました。此の期に及んで、死にたくないってのか? ダメだね。おまえはここで死ぬんだよ。と、わたしはその手の上から警戒棒を叩きつけます。ボキッっと指が折れたようで、指の先端が紫色になりました。婆さんは「や」と、言って、地面に倒れ伏して丸まりました。わたしはそういう可哀想な被害者ぶった態度にムカッとして、婆さんの下顎に警戒棒を叩きつけてやりました。「や。じゃねえよ。ババア。おまえが悪いんだぞ、ババア。警備のくせになんていうから。ババアのくせに。おれだってこんな仕事やりたくてやってるわけじゃねえんだよ。おれはなあ、本当は才能のある手品師なんだよ。なんでババアにバカにされなきゃなんねえんだよ。おい、ババア。ババアの職業はなんだ? おい、答えろや!」
婆さんは何も答えません。「ひふっ、ひへっ」と喉から音を出すだけです。ババアのくせに。ババアが。ゴミが。
自動ドアのガラスに、血まみれになったわたしの歪んだ笑顔が映っています。

 

目覚まし時計が鳴っていました。朝の五時です。人を傷つける夢を見たのは初めてでした。最悪な気分です。全然眠った気がしない。死にてえ。マジ、死にてえ。制服を着ます。シャツをきっちりズボンにしまって、ボタンは全部留めます。洗面所へ行きます。顔を洗います。浮腫んでいました。醜い。唇の端が卑屈に垂れ下がって気色悪い。ぶん殴ってやりたい。

ボーッとしながら、巡回。内周巡回後、電気メーター、水道メーター、ガスメーターを記録します。終わったら、外周巡回。先週はエントランス付近に妙齢の女性がしゃがみ込んでタバコを吸っていたのですが、今日はいませんでした。そうなのです。先週、見かけたときにおばさんに注意したら、「すみません。ご迷惑をおかけして」と言って、すぐに移動してくれたのです。彼女は「警備のくせに」なんて酷いことは言っていないのです。なのに、どうして、わたしは、あんな夢を見てしまったのか。きっと、「警備のくせに」なんて、警備の仕事をバカにしているのは、わたし自身なのです。
わたしは警備員という職業をバカにしているのです。
どうして、ビル警備のお仕事を馬鹿にしているのでしょうか?
給料が安いからでしょうか? 夢がないからでしょうか? 将来性がないからでしょうか?
けれども、たとえ給料が安くても普通に生活はできます。漫画や小説を買ったり、映画を見に行く余裕だってあります。確かに警備という職業には夢はないかもしれません。一攫千金を夢見たり、世間的に有名になったりすることはできないでしょう。昇給も一年で千円くらいだし、ボーナスも寸志みたいなもので、わたしの勤める会社には退職金なんてものもないし、将来性なんかありません。でも、将来性ってなんなんでしょうか? 自分が明日も生きている保証があるのでしょうか? 明日生きているかも分からないのに、将来のことを気にする必要なんてあるのでしょうか? いつ死ぬか分からないのに、将来が約束された仕事をするってことはそんなに大事なことなんでしょうか? 
人生において唯一約束されたことがあるとすれば、それは自分がいつか死ぬっていうことだけです。いつか絶対必ず死ぬのに、どうしてわたしたちは生きるために働いているのでしょうか?

ああ、めんどくさい。もう、どうでもいいや。今はとにかくコンビニのシュークリームが食べたい。

こうして、わたしは朝の業務を終え、午前八時三十分。交代要員のおっさんと引き継ぎをします。ニコニコしながらロッカーで着替えます。制服にファブリーズを吹きかけます。お先に失礼しまーす。と、笑顔で言って外へ出て、日の光を浴びます。眩しい。世間はゴールデンウィーク真っ只中。人通りは少ないです。コンビニに立ち寄ってカスタードシュークリームを買います。休憩コーナーでムシャムシャ食べます。美味しい。死んじゃいそうなほど美味しい。幸せな気分になってコンビニを出て、駅まで歩きます。誰かと肩がぶつかって、わたしがチッと舌打ちをしようとしたら、相手がすみませんと謝ってきて、恥ずかしい気持ちになりました。ちくしょう。謝るな。この怒りをどこへぶつけたらいいんだ。イライラしながら、約六分で駅に到着しました。
電車に乗ります。空いています。端っこに座ろうとして、ふと、端っこに座るタイプは出世しないと誰かが言っていたのを思い出して、じゃあ、真ん中に座るか。と、思ったのですが、出世するために電車の座席の真ん中にドッカリ座るっていうのも貧乏くさい気がして、やっぱり端っこに座りました。
やはり、車両の接続されたあたりの末端席は落ち着きます。左隣には誰も座られることがないという安心感があります。また、この位置であれば、ボーイズラブな漫画のエッチなシーンも覗かれにくいし、誰にも邪魔されない。世界はわたしだけのもの。
わたしは読みかけのBL漫画をスマホで開きました。幸せでした。仕事あがりに読むBLは格別です。と、誰にも邪魔されずに楽しんでいたのに、途中駅で「ノリスケの野郎ぶっ殺してやる」と、ワケの分からんことを早口でぶつくさいってるおっさんが車両に入ってきて、わたしのパーソナルスペースに座りました。なんで、わざわざわたしの隣に座るんだ。ふざけんな。ボケ。と、大変な苛立ちを覚えました。が、このおっさんのために自分がイチイチ席を変えるのも癪だったので、そのまま我慢しました。
おっさんはぶつぶつと世迷い事を言い続けています。ノリスケとワカメがどうのこうのと言ってる途中でいきなり「うんこ!」と言い出したものですから、不意を突かれて思わずプッと吹き出してしまいました。笑った勢いでスマホを落っことしてしまい、勢いよく、おっさんの足元まで転がっていきます。
そのおっさんは屈みこんで、わたしのスマホを拾って、無言でそれをわたしの口元に差し出します。
わたしは反射的に「ありがとうございます」と言ってそれを受け取りました。おっさんはわたしと目を合わせることもなく、再び、ノリスケの悪態をつきはじめます。
わたしはおっさんの意味不明な独り言にイラつきながら、自分自身にもイラつきました。
隣のうざいおっさんを意識する臆病な自分が嫌になって、わたしは目を閉じて眠ったふりをしました。

いつの間にかおっさんの声が聞こえなくなっていました。
目を開けて、隣を見ると、そこには誰も座っていませんでした。あー、せいせいした。と、思いながらも、なぜか、寂しくて。なんで、こんなに寂しいんだろう。邪魔なやつがいなくなって、自由にBL漫画も読めるはずなのに、わたしは下唇をぎゅっと噛んでいました。痛い。心が痛い。でも、本当は心なんか痛くないし、寂しくなんかないのです。心が痛いと思える自分は美しい。そう思いたかっただけです。
わたしは、フーッと息を吐きだして、ポケットからスマホを取り出します。BL漫画を読もうとしましたが、窓から陽の光が差し込んで、ディスプレイが真っ白になって視認できません。ブラインドを下ろすのも面倒臭くて、欲情まみれのBL漫画を見るのを辞めました。
疲れました。
帰ったらオナニーして風呂入って寝ようと思いました。